たまには振り返るか


昨日はあるボランティアの仕事で、晴天の中県北の某所へ「やきものの話」をする為に

伺った。iPadを駆使しながら私の話を聞いてくれたのは、何と歳の差54という若~い

方々だった。水挽作業の動画、削り作業の動画、窯焚き作業などの画像を目を輝かせ

ながら見てくれた。映像を見終わり、いくつかの質疑応答があり、これにも又若さ

特有の率直ストレートさを感じた。人は生を毎年重ねる毎に、様々な色を自分の身に

まとう様になり、それが段々とその人の色気になってゆく。

将来、創造の世界に身をおくことに興味を抱いている若い人たちは、自らが年老いても

「初々しさ」を忘れないで欲しい。「青臭い」と言われようが、それが自分たちの

かけがいの無い武器となる事を忘れないで欲しい。青臭いと口に出して言う輩程実は

青臭く汚泥にまみれて鼻持ちならぬ者たちだから。本来芸事に携わる者たちは「弧」で

あるべき、が持論。我行くところ我以外になし。などと、幾分

自分に酔いながら帰宅した。



コロナ感染者が日に日に減るこの頃、今日は今日とて女房と二人本当に久しぶりに車で

外出をした。とは言えコロナ禍は変わらずなので、マスク着用で隣町の公園へ出かけた

のであるが、車を降り周囲約2kmの池の周りをゆっくりと歩いた。整備された公園の中

の自然はまぶしいほどの光であふれていた。

立ち並ぶ大木のそれぞれの姿、まだ青々とした葉の中にはところどころ紅味が差し始め

たものもあり、四季の移ろいが段々と失われつつあるこの国の希少な側面を垣間見た

感じがした。


池には水鳥や亀たちが朝日を浴びながら、気持ちよさそうに自分たちの生をまっとう

しているようだ。

柄にもなく、これまでやきものやとして生きてきた自分をフト顧みて、世の中そうそう

平坦な道は多くはなかったなぁと感じている。コロナ前とコロナ後の事、よくメディア

でも取り上げている話題だが、この先どうなるかは誰にもわからない。少なくとも

以前の社会がそっくりそのままは戻ってはこないだろう。でわどうこれから生きていくか

「生きるべきか死ぬべきか」、ハムレットのセリフではないが、それはもう自分自身

各々が覚悟して決断するしかないだろう。

秋深まるこのごろの気を感じながら公園を歩行して、そんな事を考えていた。



何をたいそうな事考えて利口ぶって散歩してるんだ、このバカが。と言ってるような

雰囲気で樹上のカラスが我々の方をちらちらと盗み見していた。なんだ、悪いか?と

問い返せば、アーアーと大声を発して飛び去って行った。

短い時間の外出ではあったが、これからのやり方のようなものを少しだけ感じ取った

公園の散歩、でもあった。貴重な時間、これからも大切にしたい。
 

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