ガス窯本焼きの窯出しをおこなった。
二基あった窯を一基にしての作業のサイクルも徐々に把握しつつある。コロナ後仕事の行動範囲はほとんど地元オンリーとなった今、妙に最近はこれまでの様々な体験経験が懐かしく思う気持ちが増している。東京生まれで東京育ち、八丈島でやきものの基礎から勉強して此処益子へ落ち着いたのがかれこれ40年ちかくの昔になる。
学生時代および若年の頃から特にやきものに興味を持っていたわけではない。父はサラリーマンだった。が、放送界に身を置き「番組」をつくる立場にあった。それはラジオの世界に始まって、テレビの世界へ。私が生まれた頃は丁度テレビジョンの黎明期にあたる。私が幼少期には父はほとんど家にいなかった。日本中各地を経めぐって番組作りに精を出していた。兄弟もいなかったので、もっぱら母との二人生活だ。このような環境を何年か繰り返したのだから、気が付くと家で寝ている父をみると、違和感を持ったのを今でもはっきりと覚えている。
私がやきものの世界に入って何年後だったかは忘れてしまったが、フト父から言われたセリフを思い出す。「お前に合ってる仕事みたいだな...」何ということもない父との会話の一言なのだが、妙に今でも忘れられない一シーンとして脳裏に刻まれている。
父のツテをたより、父が勤めた放送局に入っていれば、今とは程遠い環境の中で日々を送っていたことだろう。父も心の中ではそれを少し望んでいた記憶がある。
みずからが作品を考えつくりだす陶芸の世界、は私が若造の頃とは大きく様変わりして、その変貌には、その環境に身を置く私自身がたじろいでしまう事が多々あるが、とどのつまりは「創造(想像)」の世界。自己を叱咤激励しつつ前へ進むしかやりようは無い。
体力気力に今まで以上に気を遣いながらの日々。あとどれほどの作品を生み出せるのか?自己を楽しみながら、額に汗しながら窯から作品を出している。
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