2023価値不安信頼・静かな時の中で

 

今年の1月も早半分以上過ぎてしまった。

あと何回位名も無きやきものやとして投稿できるのだろう?

covid-19の得体のしれぬ恐怖におびえながら、三年という時間が過ぎ去ってしまった。

自分の日々の時間割を崩すことなくここまで来ているが、流石に疲労感を覚える。

他人と出会う事もほぼ無く、遠出に至ってはこの三年無い。

妻と黙々と仕事をし続け、たまに訪れる息子一家と世間話をするのが唯一の大切な

時間だ。一家は皆感染者であったが、それも過去の事。大事に至らず、であった。

現在はみな周囲に気をつけて元気に暮らしている。

私のやきものの仕事も今年で46年という気が遠くなるくらいの時間を費やして今に

至るが、近頃は時折、「何か意味があったのだろうか?」と振り返る事がある。

あとどのくらいの時間があって、どんな作品が生み出せるのだろうか、とちょっと

弱気になる事もある。

これまでに年に一度は(多い年は複数回)必ずどこかで「個展」を開いていたのだが

それも三年前に途絶えてしまった。

 世の中は日進月歩。良くも悪くも前進一途。気が付けば、年齢を充分に重ね、

押しも押されもせぬ、と言いたいところではあるが、実質はまったくその逆で、

ただオロオロオロオロと先を見通し不安気な自分をさらけ出しているだけだ。

 あぁこれでもっともっと仕事があればなぁ、とか、あぁこんな作品をつくって

みたよ、みんな見てくれよ、とか。

 以前からすれば、そんなちょっと寂しい静かな日々を重ねている。

私が師匠たちから学んだ事、教えられた技術、この道で生きて行く為の様々な

考え方やり方、は残念ながら弟子を持たなかった私には、自身の終わりがすべての

終わり、となる。もったいない、と思う時もあったが、こんな夫を持った伴侶が

今もそのやきものやとしての生き方を見続けてくれている。私にとっては、偉大なる

力の源だ。勤め人とは異なる生き方を認めてくれるのは、その伴侶でしかない、と

私自身は思っている。「時間」というものをどのように費やして、何を考え、何を見、

それをどのように自身の作品に反映させるのか、は一日の時を同じくする者、が理解

できるものだ。

 連れ添う時間が短かろうが長かろうが、お互いがお互いを信頼し合えるのは、

大げさに言えば、人生の醍醐味ではないだろうか。昨今の理不尽な出来事ばかりが

跋扈する日々の中で、フトそんな事を感じた。

 どこの国の何の誰べえでも構わない。人は人を思いやる生き物ではなかったのか?

前触れも無く土足で踏み込み人を殺め文化を文明を破壊しつくす輩をこの現代において

目の当たりにする日が来るとは思いもしなかった。卑劣な地球人が多すぎる。

天の怒りが地上に様々な形で表面化している。

コメント