静々と黙々と


久しぶりに記す。

とても8月半ばの気候とは思えぬ、妙に肌寒き毎日を重ねるこの頃。

先日地元民芸店へわずかな数の納品を終えて、完全にリアルな仕事がゼロになった。

ここで言う リアル とは、民芸店の注文に応えたりギャラリーなどで個展を催したり

という仕事のことだ。

去年から続くコロナ禍でやきものやにとっても異常事態が本格化している。

対処の仕様が全く無くなったわけでも無い。

大口の仕事は無くなったとは言え、個人からの注文またネットショップでの商い。

これらはわずかではあるが、これから生きる為の糧のひとつだと思っている。

出来れば爆発的に売れて欲しいのだが.....。

この不本意な状況が果たしていつまで続くのやら見当もつかないが、一段落後には

知らぬ間に「新しい」ルートがあらゆる面で始まるのだろう。

販売の仕方、店の在り方、御客人との関係 etcetc.....。

今迄もそうであったように、「今」を捉えて、「今」を感じて、「今の陶」を

つくるように心してかからぬと多分生き残れはしないだろう。

伝統とはそのようなものだと思う。

これまでの経験体験を充分に踏まえて、これからに未来に対処する。

その為には私のような仕事はやはり「基礎力」が大切だと思われる。

長年この世界に身をおいてみると、自ずとみえてくるものがある。

何時の時代にも、その時折に見合ったものが元気に息づいている。

たとえそれが自身の目に稚拙と映ろうが、可愛いだけと映ろうがそれが「今」を

席巻している限り仕方のない事だ。

高価なものが売れる時代、ネームバリュウなものが売れる時代、これはどう拝見

してもトウシロウのつくりだろう、と思われるものが売れる時代、くりかえし

くりかえし、時は移ろうていく。

モノづくりの世界でわかる事は、マネはやはりマネ止まり。結局は自身にしか表現し得ない

モノを追い続ける覚悟があるかどうか、の問題だ。

人生には限りがある。間違いなく人は 死ぬ。

それでもなおこの仕事を続けていきたいと思うのであれば、それがあなたに与えられた

この世での時間なのだろう。

心していきたいものだ。

                ※写真はイメージです

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