夫婦展に向けて


毎月東京で開催している教室「まちの駅 千住堀 手びねり会」の仕事をしつつ、

同会場での約3年ぶりとなる夫婦展に向けて、その作品作りにおわれている毎日だ。

タイトルは「酒器皿鉢50展」 これはほぼ決定だ。

この仕事で独立して30数年。毎年定期的にこなしてきた展示会も、世の移り変わり等で

ここ3年ほどは個人的な動きを控えていた。

「ものづくり」の仕事についているので、手を休める事は無い。

30代 40代 50代 と様々ありとあらゆる自分なりの作品を作り続けてきた。今も

それは変わらない。

60代という年齢に入り、つくるものは変わったか、と問われればそんな事も無い。

継続して培ったものを土を介して表現するだけだし.....いいかえれば一定のリズムを

くり返しているだけ。

とは言え、よくしたもので幾らかではあるが手の指先の動きに 無駄 がなくなったか、と

思う時がある。

頭で考えたことを指先に伝えそれを形にしてゆく。脳から指先までの伝達経路は意外と

距離が長いのだ。だからこそ手仕事は時間のかかる職業だ。手間ひまかけて幾らの

世界。

文明は日進月歩。人間は日々退化。このごろ切実に感じている事だ。

ヒトから感情を取り除いてしまったら、ただの始末の悪い生き物ではないか?

感情面がどんどん壊れてゆく。また「感性」が貧しくもなっている。

「感性」が豊かになれば、人間としても厚みが増すものだと思っている。

芸術畑で働いている人々は多かれ少なかれ「感性」を磨いている。

師匠から受け継いだものを武器にその表現を人様に感じて頂く。まったく難儀な職業

である。

「手びねり会」をおこなう以前から感じていた事だが、陶芸=やきもの ブームは

これまで何度かあったのだろうけど、意外に根本をわかっていない。広く伝わってこその

工芸全般だと思うのだが.....。

私の教室では、単に器をつくるだけではなく、そこに関わる歴史なども出来うる限り披露

してゆければというスタンスで毎回楽しんでもらっている。

ひとつ作品が出来れば誰でも「陶芸家」の時代である。首を傾げるような妙な作家が増える

のはどうなのかなぁ?

そのような事あれもこれも含めて、今回の展示会では今まで培ったものを再構築して

仕上げた作品たちを見て頂きたい。

写真は酒器つくり工程途中のものである。ここから先どのようにこの器たちが変化して

ゆくのか、ぜひ会場に足を運んで頂きたい。詳しい日時会場はおって連絡します。

器つくりの基本を押さえその応用を楽しむ領域に今自分は居るな、と感ずるこの頃。

どんな作品が生まれ出るのか、たいへんな仕事ではあるがそれもまた了解済みで

もうしばらく生きてみたい。


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