父との対話

私の父はもう20年以上昔に亡くなっている。

生粋の「放送マン」であった。

某民放ラジオ番組制作担当から時は移りテレビの世界へ。

「プロデューサー」の肩書きをもって多くの番組制作に携わった事は、私が少し成長してきた頃に

判った事である。

我が家でくつろぐ父の姿というのは私の記憶には、無い。

学校から帰り玄関先に父の履く靴があると、「あ、居るんだ。また寝てる」

というのが正直なところ私の父に対する正直な印象だ。

「この男一体何なんだろう?昼日中寝て夜になると呑み始め、私が朝目覚める頃には

もう居ない。何やってる男なんだろう?」

子供心にたいへん不思議な対象でしかなかった。

多感な思春期時にはそんな父に逆らってばかりいた。口答え、登校拒否、小さな暴力、は

当り前だった。


            (※写真左が父。中央はこの頃売り出しの先代 林家三平。)


父はいわば「もの作り」の世界に身をおいていた先輩である。ただし、

私が身をおくやきものの世界とは異なり、放送業界の主に芸能面にその手腕を生かした

人である。思えば私の父の時代の放送界はいわば黎明期。これからすべてが始まると

いう熱気を帯びた時でもあったのだ。当然、今のその世界のふやけただらけた事象で

お茶を濁す時間は当時存在しているゆとりは無い。「真剣勝負」の中でそこにうごめく

人々は切磋琢磨したことだろうと想像する。人が人を思い、尊敬し、励まし合い成長した

時代だったと感じる。

 時は移り、子の私の時代。

約40年昔に飛び込んだ「やきものの世界」に未だに籍を置き働いている。近頃の主な

仕事場は東京南千住。私が幼少時住んだ上野深川に同じく下町である。浅草にも近い。

此処にひと月に一度材料すべてを車に積み込んで、陶芸教室を開きに伺っている。

「もの作り」の世界の事を素人の方に教えることが、そういう時が来ようとは私自身

想像していなかった。「やきもの」に興味を抱いている方は昔も今も大勢いらっしゃる。

が、ほとんどの方はやきものがどのように完成されていくかをご存知でない。

そんな事こんな事を合いの手に入れながら、私の陶芸教室は回を重ねている。

始まって約二年ちかい。

私が会員に指導する事は段々と少なくなってきている。それだけ会員らが黙っていても、

粘土を自分で思うように扱える事が出来てきているのだろう。

「もの作りの世界」ではある程度場数をどれ程踏まえたか、ということが大事である。

父がいた世界然り、私が身を置く世界もまた然りである。




         (※ 写真は会員さんら。男性も女性も年齢に関係なく皆一所懸命!)


私の方も余裕ができたか、みんながどういう表情で作業しているのかカメラのファインダー

越しにのぞかせてもらった。

そこで感じた点は、ものを作るという事はこれほど真剣な眼差しになるんだという事。これほど

すなおでやさしく毅然とするんだという事。うつくしいという事。

芸事所作事はくりかえしの美学、というのがわたしの持論。

そのひとはそのひとなりの技をみがき続けて欲しい。私の願いである。

陶芸教室のみなさんは名人上手になる必要は無い。それはプロに任せよ!

それでいいのだ、と私は思う。楽しんで少しでも豊かに感じられる時間をわたしは提供したい

と、心の中で 「そうでいいよな?」 と父に問いかけている私がいる。




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