2016年3月1日火曜日

自己のスタンスは?


写真の作品は台皿(高台の高めの皿)。焼き上がって5寸皿くらいを予定している。

5月末の夫婦展に出品する作品だ。

展示会を久々にひらく、ということもあるが、最近ではここまで数十年続けたこの

仕事の集大成という意味を込めて、日々作業を繰り返し重ねている。

器作りの基本をしっかり見つめ直し、そこにデザインを加えてゆくというのが私の

基本的な仕事かな?とこの頃思い始めている。

生まれも育ちも東京の私が此処栃木益子に移り住み、はや30年が過ぎているが、

気分は未だに東京都民のつもりだ。

誤解を恐れずに言うのであれば、ここ益子で製陶業を営んでいるから当然益子焼を

作っているわけなのだが、広義でいう所のそれとは、私が生み出すやきものたちは

ちょっとニュアンスがことなっているかもしれない。いわゆる伝統にのっとった益子焼

ではない、と思う。が、土(粘土)そのものは益子産であるから、そういう意味では

まぎれもなく益子焼である。

時代はどんどん進化しているから、広義も狭義もありえないこの頃ではあるが、まだまだ

世間ではそれにこだわる方々もけっこう多い。

八丈島でやきもののいろはを学んでいる時から、他と同じ物を作っていたら即生活に

窮することになる、とおぼろげには感じていた。

家代代の製陶業でも無くそのぶん私には自由があった。

自己が感じたもの、作ってみたい形・色、表現に制約は無かった。

そうは言っても、自己作品を介してそれを生業にする事は別次元である。

作り焼き売る。

それをすべて一人でやるわけであるから、並大抵のことでは出来ない。

現在もそうだが、一番気になる事は「時代」のことである。時代に飲み込まれてはいけない

が、ある程度は時代を感じて生きていかないと、このような仕事は衰退して消滅するのは

あきらかである。

けさのニュースで 有田焼 の現在を紹介していたが、どこの窯業地も四苦八苦の日々

だ。今まで培った伝統を打破し革新する。作品を新たに変えることも必要だが、それを

生み出す作り手の気持ちの変化もまた必要だ。

改革推進のグループの長が言っていたように、「あなたのそういう感性は今我々には

必要が無い。今までどおりにやっていたら、この有田焼はいずれ消えてなくなる」と言った

言葉が、そのニュースが終わった後の今も私の脳裏に残っている。

残酷なようではあるが、何事かを変える ということはこれ程おもいきって事にあたらねば

いけないのだという事を痛感した次第である。

さまざまな畑でありとあらゆる作物が育つ。それを生み出す人の手によって.....。

時代に見合ったものを生み出すことは、それを生み出す人の見方考え方やり方で

かなり異なったものとなる。良い意味として捉えて、という事である。





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