「次」へ繋げるために


一昨日、この秋の陶器市を終えた。

春の陶器市の際にも記したものだが、各メディアにも浸透してきたせいか、初めて陶器市を訪れたお客人が今回もかなりいたな、というのが第一印象だ。

その時だけのテント店とはいえ、時代時代を取り込みながら変化または進化してきた市だと思う。
アナログからデジタル化へと移りゆく中、人様が求めているのは益々”あたたかみ”なのだろうという漠然とした思いだ。

やきものは人の手で形作られ、窯の中で火を浴びそして冷まされて、やっと誕生する工芸品のひとつである。

どうしても作り手の 意思 といったものが反映される世界だ。ここでいいというゴールは無い。
又、幾年やり続けているからこうだ、という時間的制約もない。

有るのは、そこにある自身の作品のみ。

作り手が生きたように作品も生まれ出て生きてゆく。
無論、作品づくりの「基本」は何よりも大切だ。
基本が出来ていないのに 応用 は出来ない。歪んだ器も歪んだわりの理屈がある。その深い理屈にたどりつくまではひたすら 作り続ける しかないのだ。結果はあとからついてくる。

歪ませたのでも、ひしゃげさせたのでもない、歪んだ、ひしゃげた器がある。だからそこには自ずから 味 もある。
誠に奥深い世界である。

「やきもの」を知らないお客さんが増えている。似たような事で、お茶の世界もお花の世界でもそれは同じようだ。
その国独自の「文化」の衰退が始まろうとしているのかもしれない。

何千何万という高価なモノが売れるより、もっと 良いもの が巷にあふれかえり、皆がそれを心から楽しみ使える時代が来るといい。

器に関しても同じだ。
プロはプロなりの器作成の処理の仕方がある。切磋琢磨して自身をも磨き続けたい。

初めて訪れたお客人が次もそのまた次も益子の陶器市へ足を運んでくれるように、迎え入れる
方こそ毎日を無駄にしてはいけないと思う。

お客様は神様ではない。人間である。お互い気分良く時を過ごす為に.....。

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